元号とは?意味や改元理由の変遷と選定基準および明治以降の由来

日本の2024年現在は、「元号(げんごう)」では「令和」6年です。

元号と聞くと、古来より歴史上の出来事や社会を反映しテストで暗記し覚えた経験や、また近年では令和のスタートにより、昭和・平成と生活に根差した時代の記憶や繋がりを感じることが、多いかもしれません。

それ以上はあまりよく知らないことが多かったので、日本のみが継続して用いているといわれる元号について、意味や令和で248となった改元理由の歴史変遷、選定基準などについて調べてみました。ご覧ください。

元号とは

名付けた年を基準に数える

元号(げんごう)」とは、「その時代を象徴するため年につけられた名前のこと」で、その名前の期間の年を数える方法(紀年法)です。日本では「和暦(われき)」や「年号」とも呼ばれています。

2024年は西暦2024年に当たります。これは現在広く用いられている紀年法で、キリストの生誕を基準(紀元)としています。

一方、元号は中国で考案され、東アジアの漢字文化圏(韓国、台湾、ベトナムなど)で発展した紀年法で、日本のみがで今も採用しています。

現行の元号「令和」は2019年、現在の天皇が即位した年を基準(紀元)にしています。

日本の元号の始まりは「大化」

古代中国において元号は、縁起の良い名前をつけることで国の安寧や繁栄を願うとともに、皇帝が権威を示すために用いられてきました。

当時の遣唐使によって、多くの知識や文化とともに「年を数えたり記録をする方法」として、中国で用いられていた暦法である元号が日本に伝えられ、採用されました。

日本で最初に元号を用いたのは、645年の「大化(たいか)」で、中大兄皇子による「大化の改新」という政治的な改革を背景に持つものです。

 

その後一時的に途絶えたのち、701年の「大宝(たいほう)」を機に、元号を定期的に設定する制度が確立されました。

また中国の定める元号をそのまま使用するのではなく、日本独自の元号を用い、その後も改元(元号が変わること)しながら引き継がれ、現在の「令和」は248番目となりました。

改元の理由や基準

それではどのような時に元号が変わる「改元」が行われるのでしょうか。

明治時代に「一世一元(いっせいいちげん)」(天皇御一代に一つの元号とする)が定められ、また昭和54年(1979)年の「元号法」により、「元号は皇位の継承があった場合に限り改める」と明確になりました。

 

それ以前の時代には、別の理由や選定基準があり、同じ時代の中で複数回改元が行われることがありました。「大化」元年(645年)から平成31年(2019年)までの元号が247ということは、平均5年半のペースで改元が行われていた計算になります。

 

改元の理由としては、国家の繁栄や国民の平安を願うものであり、

その基準になることは

①天皇の代替わりや国の重大な節目

②自然災害や異常気象、大きな火災、疫病流行など凶事の発生

③吉事(おめでたい出来事)の発生

④陰陽道(おんみょうどう)の占いに基づく異変が起こりやすい年 など

さまざま理由で頻繁に元号が変更され、それまでの時代をリセットし新たな時代を始めるという意味を持たせて、国民に希望や新しいスタートの象徴としていたところがあるといわれています。

 

例えば、災害、干ばつ、疫病流行、彗星(すいせい)の出現などによる「災異改元」が多い一方で、天皇に白キジが献上されて「白雉」、黄金が献上されたり、治癒の効果がある泉が発見されたりした際にも「祥瑞(しょうずい)改元」が行われています。

また、語呂の悪さから改元された例として、江戸時代「明和9年」の大火災と水害を受けて「迷惑年(めいわくねん)」と揶揄されたため、「安永」へと変更されたこともあります。

 

期間もまちまちで、最短の元号は「暦仁(りゃくにん)」でわずか2ヶ月と14日間、一方「昭和」は62年間と最も長く、その後「明治」、「応永」、「平成」と続きます。

元号の選定基準と決定

元号法により、「候補名の考案」→「候補名の整理」→「原案の選定」→「新元号の決定」の流れで決定された後、内閣総理大臣が国民に発表をします。

かつては新聞によって新元号を知る時代もありましたが、現在はテレビ放映やネットニュースで知ることができます。

6つの基準

候補名は有識者によって集められます。

元号は、国民全体の価値観や時代の理想を反映する重要な役割を担うため、以下の6つの基準が設けられています。

1.国民の理想としてふさわしい良い意味を持っていること

(元号は国民の理想や願いを象徴するため、前向きで希望に満ちた意味が込められることが求められます。)

2.漢字2文字であること

(覚えやすく、表記の一貫性を保つため、元号は常に2文字の漢字で構成されます。)

3.書きやすいこと

(日常的に多くの人が使用するため、書きやすさも考慮されます。)

4.読みやすいこと

(読みやすさも重要で、発音が明瞭であることが求められます。)

5.俗用されているものでないこと(人名・地名・商品名・企業名等は不可)

(元号としての独特性を保つために、日常一般的に使われる言葉は避けられます。)

6.過去に元号やおくり名(として使われていないこと

(重複を避けるため、以前用いられた元号や、故人の追悼名に使用された漢字は採用されません。)

最多使用の漢字は?

これまでに使用された漢字はたった72文字と、意外に少ないものでした。

最多は「永」の29回、次いで「元」と「天」がそれぞれ27回、その他に「治」が21回、「応」が20回使用されています。この選定プロセスは、元号が持つ文化的および社会的意義を強調するものです。

 

また近年では、書類に元号を略して記載する際に、元号の頭文字を使用する慣習があります。

例えば、「昭和」は「S」、「平成」は「H」となるため、新しい元号を選ぶ際には「サ行」「タ行」「ハ行」「マ行」で始まる元号を避けることで、文書管理上の混乱や不便を避けるための工夫がされているといわれています。

「令和」で「R」となりましたね。

明治・大正・昭和・平成・令和の由来

簡単ですが、由来や意味を挙げていきます。

明治(めいじ)

出典:易経「聖人南面而聴天下、嚮

読み:聖人、南面して天下を聴き、に嚮(むか)ひて

意味:聖人が北極星のように顔を南に向けてとどまることを知れば、天下は明るい方向に向かって治まる

期間:1868年9月8日~1912年7月29日

大正(たいしょう)

出典:易経「亨以、天之道也」

読み:大いに亨(とほ)りて以てしきは、天の道なり

意味:天が民の言葉をよく聞き入れ、政が正しく行われる

期間:1912年7月30日~1926年12月24日

昭和(しょうわ)

出典:四書五経

「百姓明(ひゃくせいしょうめい)、協万邦(きょうわばんぽう)」

意味:「百姓」(人々それぞれ)が「昭」(徳)を「明」(明らか)にすれば、「萬邦」(世界中)の「協和」(共存繁栄)がはかられる

→国民の平和および世界各国の共存繁栄を願う

期間:1926年12月25日~1989年1月6日

平成(へいせい)

出典:史記「内(内平かに外成る)」および書経(しょきょう)「地(地平かに天成る)」

意味:内外、天地とも平和が達成される

期間:1989年1月7日~2019年4月30日

令和(れいわ)

出典:万葉集「初春の月にして、気淑く風らぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす」

読み:初春の月(れいげつ)にして、気淑(よ)く風(やわら)ぎ、梅は鏡前の粉(こ)を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫(かお)らす

意味:人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ

紀元:2019年5月1日

まとめ

元号は「その時代を象徴するため年につけられた名前のこと」で、その名前の期間の年を数える方法です。

中国をはじめ東アジアに広まった後、遣唐使を通じて645年の「大化」から、今日の「令和」まで公式に使用しているのは日本だけとなりました。天皇が即位する際には新しい元号が発表されるという慣例は、生活に深く根付きなじみあるものといえるのではないでしょうか。

様々な歴史の中で248回名づけられた元号には、国家の繁栄や国民の平安を願い、歴史上の大きな出来事があっても、それまでの時代の苦難を乗り越え、希望ある新たな時代をスタートするという思いが込められてきました。

その思いは現代に引き継がれ、時代の変化に合わせながら国民全体の価値観や理想を反映する、象徴的な2文字であるように感じられます。

明治・大正・昭和・平成・令和を経験している百寿者(ひゃくじゅしゃ)の方々はもちろん、昭和生まれは履歴書記載などで、戸惑うこともあるかもしれません。

その際も少し調べれば、西暦との対照表は案外すぐに見つかります。

日本通史における机上の文字のみならず、個人の歴史を振り返り懐かしむ時、元号と結びついて思い出すのは、日本ならではの文化と体感できることでしょう。

 

 

タイトルとURLをコピーしました